9月のこと

今日一日、9月になったな。と思って、9月のことを考えている。
正確には昨日から9月だったのだが、今日が9月のはじまりのような気がしていて、ちょっと嬉々としている。
なにがそんなにうれしいのか、なにをそんなにくつろいだ気持ちになっているのか、少しだけ紐解く。
朝、目覚めたら太陽と青空で、それでいて蒸し暑くなく、鳥の鳴き声すら透き通って感じる。台所に行けば昨晩作った栗の渋皮煮があって、白湯を飲みながら、ひとつつまむ。もうひとつ、そしてもうひとつ。染み渡る甘み。早生の栗で若干の固さが残るが、この時期の渋皮煮だ、十分すぎる。
デニムとTシャツを着て、パンをたべにいく。ある人にとっては、パワースポットだし、ある人にとっては、社交場。でも、そこには最高のパンがある。パンがあって、人がいて、言葉があって、限りなく永遠に近い時間が流れる。そんな時間の流れ方をする場所は、それほど多くない。
とにかく、パンをたべて、コーヒーをのんで、パンをたべて、人にあって、人と別れて、言葉を交わす。帰る頃には夕日が眩しくて、幸福のひとつの色を映し出しているみたいだった。なんて。
9月のことの答えは、なかなか出てこない。
でも、Tシャツでは少し肌寒く感じるようになる。空気の色が変化して、ケーキ屋さんでは秋のお菓子が並びはじめる。
つまりはなんていうか、モンブランとか、タルトタタンとか、そういったものです。ぶどうももちろんそうなんだけれど。
うれしいこと、たのしいこと、さみしいこと、じぶんのこと、まわりのこと。あるゆるものが少しずつ色濃くなって、空気がそっと変わっていく。
9月のはじまり、夏の終わり。そんな、9月の初日(嘘)。