遠ざかる視線

その女は
ぽつぽつと
話を始め
やがて泣いた
泣きながら笑い
泣きながら怒り
そして、泣いた
いや、啼いていた
地上に散りばめられた
じぶんの欠片を
探しているみたいにして
それから
目の前の水をぐいと飲み干して
僕の煙草を奪い取り
震えた指で煙草をふかした
女の体中に
紫色の煙が渦巻いているのが
見えるようだった
煙草やめたんじゃ
と、僕は言おうと思ったが
思い直した
幸福を遠ざけたくなるときが
誰にでもある
女は煙草を指に挟んだまま
窓の外を見ていた
その顔は
まるで別人のようで
僕はぼうと見つめてしまった
女がまた口を開くまで
待つほかなかった
仕方なく
水を口に含んだ
僕の知らない味がしたが
そのまま飲み込んだ
空気そのものが変化しているのだ
女が泣いていたときの顔を
思い出そうとしたが
全く思い出すことができず
僕も窓の外を眺めることにした
人々が人々に溶け合いながら
生きていた
鼓動だけが取り残されて
語ることはもう
なにもないのだと知った
いや、なにも知らなかった