東京

東京。
あいかわらず、隙間のない。言葉を変えれば窮屈な集合物。皮肉に聞こえる、のかもしれない。しかし、皮肉ではない。ぼろぼろと崩れていきながらも、進み、築いていく様は、むしろ偉大にも思える。
電車やバスからみる(地下鉄は別としても)、東京という集合物は、眺めていたくなる。街なのかどうかは、よくわからない。ただ、電車やバスの普段より少し高い位置からみる東京は、飽きない。関わりがない位置にいるからだろうか、過ぎていく途中だからだろうか。
昔、東京タワーから眺めたそれとも違う。どこか、呼吸が違う、時間の位置が違う、言葉の意味すら違う。自然の概念すら、ぼくの知っている深く高く生い茂るそれとも違う。
東京。
いつの間にか、個を必死に探していた。
電車を降り、歩き、止まり、歩き、歩き、歩き。汗がからだにまとわりつき、自分を戻すために座れる場所を探し、疲れ、心でおどけて、一呼吸。
眺める。人々が同じにみえる。違うのに、同じにみえる。ぼくもそうだ。同じなのに、違う。必死に個を見つけて、景色だけは同じになって。
そうだ、やっぱりそうだ。
これだけ大きなものが多い街で、高いものができていくのは、当然の出来事なのだ。
生活している人が、毎日のように東京を過ぎていくのは現実的ではない。
スカイツリー。それもいいかもしれない。
あの高すぎる場所から、まるですべてを知ったかのような安堵。大きなものが小さく思える高揚。
東京。
隙間のない、巨大な集合物。
でも、東京タワーのほうが、ぼくは好きだ。ぼくを幾分ざわつかせもするが、どこか心地がいい。
それは、下から眺めるときでさえも。
東京に少し慣れたのかもしれない。