月別アーカイブ: 2017年5月

欲求想像

例えば
求めていることのひとつを想像するとき
決まってそこには
静かで清潔な空間が広がっている
鮮やかで賑やかで活気があって
というものではない
モノクロームに近い響きがあって
孤独に近いニュアンスがある

すべてが
わたし自身のみで完結できる
(完結があるかどうかは別として)
つまりは
そこに割れないグラスは存在しないが
それを割られてしまう状況は存在しない
わたしの一部でもあるそれらは
もはやだれの一部にもなり得ないのだ

だが
そこには現実的な紙切れが
束のように必要になり
そして
わかりやすい名前が
なければならない

終止符。

結局のところ
それはわたし自身の想像を越えない
先の見えない愛のように
飲んでも飲んでも
潤うことのない渇きのように

鳴きやまない梟だけが
きょうという意味を成していた