白い月

早朝のカフェでうたた寝をしていると、腹の出た洋梨顔の男性が足音なく近づいてきて、テーブルの向かいに座った。
そして、僕に語りかけはじめる。
僕は薄目で男を見るが、何も理解できない。
熱心に語っているその言葉は、どこにも属さないただの羅列で、混乱すら通り越してしまう。
僕はその男の顔を眺めている。
口元を動かして、なにかを発していることはわかるが、眺めれば眺めるほど、何故か僕はどんどん疲弊していって、しまいには男の顔は海中の海藻のようにぐにゃりと揺れ動き、辛うじて込み上げてきた吐き気を腹の底へ押し戻した。
男の顔は最初よりも深刻さを増している。
煩わしかったりするのではない。
ただ深刻さを増している。
僕は目の前のコーヒーのようなものを、その男にかけた。
つもりだった。
空のコーヒーカップは目の前に残り、男の姿はなく、というか椅子すらなく、僕の座っている席はずっとひとりだった。
男だけでなく、店内には僕ひとりだけ残してもう誰もいなかった。
なにかを熱心に書いていたサラリーマンも、煙草をふかしながら化粧をしていた女も。
ふと時計を見ると、店内に入ってから、二時間も経っていた。
そして、ひどい喉の痛みを感じた。
携帯電話と財布があることを確かめると、僕は店を出た。
信号機が赤になり、青になり、人がそれぞれの場所に向かっている。
とりあえず、駅へ向かい、やって来た電車に乗った。
窓ガラスに映る僕の顔は誰よりも青く、薄く、その向こうに浮かぶ白い月のある空を眺めながら、電車は東へと向かっている。