ときどき、エッセイ。「海水浴」

夏の最中に海へ出かけた。
台風が近づいているため、波が高くなっています。
アナウンスが聞こえる。少し空が重たくなっていた。雲の厚みを感じる。
海へ入ると、確かに波は高く、僕の腰を支えて掴み、それから引き離した。そしてまた高々とのしかかり、時折頬を叩いた。とはいっても、ほんの数メートルしか海の領域に足を踏み入れていない。
もう少し奥へ、もう少しだけ奥へ、と進んでいく。腰を掴むどころか、足を取り引きつけるようだ。
すると、赤いスイミングキャップ(正式名称かどうか)を被ったお姉さん(おそらく年下)がこちらへ駆け寄って来る。ものすごい速さで。砂を蹴り、波を踏み越え、あっという間に僕の目の前。
波が高いので、それ以上奥には絶対に行かないでください。腰より深い位置は危険です。
と言って去っていった。はっきりとした口調で、それでいて穏やかに。
海は娯楽じゃない。自然なのだ。
僕は海水浴はあまり好きではない。好きな人が海が好きだから、海に入ったそれだけだった。
引き寄せる砂の厚み、風すら海の一部。夏の最中の出来事。
タトゥーの入った人がわんさかいる。普段もいるのだが、ここでは、ちゃんと見えてしまう。
濡れたまま車に乗ろうとして叱りつける母親。浮き輪を片付ける父親。
ありとあらゆる凝縮感を、なぜか感じてしまう。
車の中が砂であふれてしまうのも仕方ないと思える。車の座席が汚れるのも仕方ないと思える。
後で洗えばいい。
海を背にして車を走らせる頃には、全身があたたかくなっていた。これが海か。エネルギーか。
窓を開けて潮風を吸い込む。
ああ、帰ったらすぐに掃除をしよう。それが次に浮かんだ思考だった。