わたしを食らう大腸の目と耳。

白湯から始まり、シリアル、バナナ、と続いていき、集団登校並の気だるさと規則性で、午前、午後、夕方、また夜のなかで、何度か無心になったり、何度か敏感になったりした。とすれば、きょうのわたしの血は見えないけど、なんとなくわかるし、なんとなくきこえる。感覚が問題なので、深々と考える必要はない。大抵のことはみえないし、きこえないという結論。だから、代わりに大腸がいる。心臓みたいにクールじゃないけど。心臓だからアツいのか。わからないけど、そのまま大腸に届くのだ。ストレートで、ドストライクな大腸の感覚。