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頭痛

いくつかの苛立ちと、それに似た疲労がある。それをうまくペースト状に伸ばしたり
均等にばら撒いたりすると、不思議と呼吸が追いつくようになる。それは錯覚かもしれないが、概ねそのように出来上がっている。わたしの意見ではない。会ったことも見たこともない、存在すらあやういある個体がそれを認識して作ったのだ。アスファルトの切れ目から生える草も、小石の横をそそくさと過ぎ去る虫だって、その完成されたものを動かすことはできない。糊付けされたパズルのように、そこにただはめられて固まっているのだ。もし、なんらかの形で崩されたとしても、そのピースがはまる場所はひとつしかない。それはもうすでに出来上がったことなのだ。あらゆるものは見かけよりも、単純に出来ている。直線をつくった我々が難解にさせているに過ぎない。重くなった頭を軽くさせるには、まるみを捉えるしかない。わかってはいるが、直線をつくったが故になかなか容易ではないのだ。いくつかの苛立ちと、それに似た疲労が、ベッドの隅でうずくまって動かないでいる。