この空の下

話し合いの末に、なにかが決するというのか。ネクタイを締め、重々しい空気に包まれて、口を開けば、視線だけがその者を貫いてしまうような場所で。
例えば、その場所がビートルズが心地よく流れる喫茶店であったとしても、街中のコーヒーショップだとしても、にらめっこしながらの話し合いでなにが決するのだろうか。
気持ちを一旦外に置いてみることは可能だろうか。道端に置いて、大型トラックの過ぎ去る風で飛ばされるくらいの、余裕はあってもいいのではないか。子供にただ笑われるくらいの滑稽さは必要なはず。
誰かが、どこかの場所で、必ず決めなければいけないということもない。笑っていることに、笑われてもいいでしょう。真剣なことを、笑われてもいいでしょう。
この大きな空の下で、ましてや空の上はもっと広く深い宇宙なのだから、にらみ合いの討論に答えはないはず。
もともとの、答えもない。答えすらないのだから、見つめ合って話すのだ。
感情にまかせてはいけない。いけないことにも、まかせてはいけない。限りはないのです。
どうしようもないほどの、重く苦しいなにかが現れたとしたら、お茶を飲み考えることもひとつの答えではないかと、お茶を飲み考えることの脱力。
同じ空の下。無限に満ちた、闇夜がわたしを迎えてくれる。