パン

ぼくのあたまのなかを知りたい。と云った人がいる。
それはここ最近聞いた突拍子もない発言において、一番嬉しかった言葉だった。ぼくを知りたいのではなく、ぼくのあたまのなかを知りたいのだ。
言葉、見ているもの、匂いの種類、選択、心の在処。これらすべてであって、これらすべてではない。あたまのなか、とはそんなもの。
しかし、そんなものと云いきれるわけでもなく。ぼくは些細な変化で自分の位置を変えたりする。たとえば、胃の調子。たとえば、空の移ろい。
本当の場所はどこにもなかったりする。
いくつもの山を越えても、いくつもの風を受けても、突然雨が降り、突然太陽が輝いた。そんなかんじ。

想像をしてみる。窓から入る陽射しにソファとブランケット。それと珈琲にいくつかのパン。テーブルに置かれた紙と鉛筆。
またどこかへ行ってしまったのか。ぼくのあたまのなかに佇む気まぐれな僕が。
そして、今日一日ぼくのあたまのなかを転がっていたのはパンだった。
どれほど経っても、ぼくはパンが好きなのだった。子供のころのセリフを借りよう。
パンが好き。